ananxxxのJUNK STORY

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「ゼロ・ダーク・サーティ」を見た。

 ゼロ・ダーク・サーティを見た。アカデミー賞作品賞にノミネートされ、世界でいま最も話題沸騰中の映画であるが、日本では先週の15日にようやく公開が踏み切られた。この作品は、2011年の5月に起こったオサマ・ビン・ラディン暗殺事件を題材にした映画である。CIAの女性分析官であるマヤは、9.11以降、国際手配されたビン・ラディンの消息を突き止めるためにパキスタンへ派遣される。マヤはビン・ラディンとテロ実行犯の連絡役を務めるとされる「アブ・アフメド」の正体を明らかにするため、仲間とともに情報収集に務めるが、ある日、アフガニスタンの基地で起きた自爆テロによって仲間の女性CIA諜報員を亡くしてしまう。この事件を機に、マヤのビン・ラディン拘束への執念は憎しみとともに高まっていく。その後も発生するテロや情報の錯綜、上司の対応に翻弄されながらも10年近くに及ぶ地道な諜報活動によってついに、ビン・ラディンが隠れているとされる在り処を突き止めることに成功する。そして、2011年5月2日の未明「0:30」に米軍シールズによってビンラディン暗殺に向けた「報復」作戦が行われることになる…。あらすじはこんな感じであるが、160分間、とにかく緊張の途絶えない映画であった。特に最後のビン・ラディンの隠れ家を襲撃する映像は、まるで自分が作戦に参加をしているかのような臨場感を味わうことができ、迫力満点であった。ドアの施錠を爆発させる度に、驚きのあまり家畜が叫び立てる音などの細かい設定が臨場感を増幅させたのであろう。また、テロ発生や武装集団に襲撃される映像が何度か登場したが、これらの映像も同様にスリリングだった。監督の前作である「ハート・ロッカー」の爆弾処理映像でもそうだったが、何かとんでもないことが起きる前のどんよりとした空気感や不協和音の演出は監督独特の技法であり、視聴者を映像の虜にしてしまう。

 この映画のレビューを見てみると、アメリカ礼賛やプロバガンダ映画だという意見が散見されるが、僕はむしろバランスのとれた映画であると実感した。冒頭は9.11のボイス・レコーダーに残された犠牲者の悲惨な声から始まり、テロとの戦いに翻弄される哀れなCIAの姿や正義のためにリスクを覚悟して突き進む勇敢な女性分析官など、確かにそうした意見を持つに及ぶシーンは何度も見受けられた。また、この映画は暗殺事件後、1年数ヶ月での公開と非常に短期で制作された映画であり、このことからCIAや軍、政府からの緊密な協力無しには生まれなかった作品であることに違いない。これらのことから、アメリカ礼賛的要素が垣間みられたのはおそらく正しい。しかし、ストーリー全体をみてみると、CIAや軍の問題点を浮き彫りにさせる点が非常に多いことが分かる。常態化していたCIAや軍の拷問による取り調べやCIAの失態によるアフガン基地での自爆テロ事件だ。他にも、CIA幹部による「大量破壊兵器の時でも写真による証拠が十分にあった。(要するに、あの失敗したイラクの大量破壊兵器問題でさえ証拠の写真は持っていた。それなのにどうして証拠の無い奇襲計画を実行することができようか。)」という発言や、最新鋭の技術を誇るブラックホークをビン・ラディンの隠れ家の家畜小屋へ墜落させてしまう失笑映像などが挙げられる。こうしたことから、この作品は国家機密に関わるお固いテーマでありながらも視聴者へ作品評価の自由をある程度委ねた、バランスのとれた作品だと言えるではなかろうか。

 おわりに、映画の最後は帰路に立つ飛行機の中で、任務を終えたマヤがひとり涙を流しているシーンで終わる。この涙は10年来の職務上の念願だった、または仲間の報復のためだった、あるいは祖国の正義のためだった、ビン・ラディンの暗殺成功に安堵した涙ではなく、「報復」によって得た成功とは虚無であり、そして新たな「報復」を生む種となりうることを、今はじめて自覚した涙であったと考える。

 久しぶりに感性と理性を揺さぶられる映画を楽しむことができた。ぜひとも、多くの人に劇場で見てもらいたい。